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私のこと

 1975年豊明市出身。現在は夫と長男と名古屋市で暮らしています。

 私が家に興味を持つきっかけとなったのは、小学一年生の頃、ハウスメーカーから届いた一冊の間取り集でした。壁が線で描かれているだけの記号のような図が1ページに20戸程ずら~っと並ぶそれがとても面白くて、しまわれてもしまわれても、探して引っ張り出してきては何時間でも見続けました。小学三年生の時にお絵描きで初めて間取図を描いてからは、戸建て広告収集と方眼紙に間取トレースを始めるという、非常にマニアックな趣味へと繋がっていきます。

 そんな私の暮らす我が家はとても小さく、しかしそんな小さな自分の家が私は大好きでした。でも冬は日が入らず、夏も窓を開けられないその環境に、段々と母の気持ちが塞ぎ込んで行くのを目にし、住まいは人の心にも影響を与えるのだと子供心に実感しました。

 やがて、とにかく間取りを考えることが大好きだった私は、建築学科に進みます。相変わらず、広告チェックは欠かさず、なんでこんな変な間取りの家をつくるんだ!と生意気にもよく憤っていました。

 さて卒業時は就職の超氷河期。当時建築業界は特に厳しく、女子学生の求人はあからさまに0。就職浪人を余儀なくされる中、私を拾ってくれたのがエクステリアの会社でした。そこからはもう仕事漬けの日々。恋も花もない生活。一年の99%を仕事の為に費やしました。横浜のエクステリアの会社を辞めて地元愛知の工務店に転職したのは31歳の頃。2×4工法の注文住宅の設計からコーディネートまで、また仕事漬けの毎日が続きました。

 深夜残業休日出勤の日々でしたが、その中でも暮らしに関するいろいろなことの知識を深めたく、休日は講座に通いました。子供が産まれてからは、健康や食、防災、教育に関することにも興味の幅が広がりました。

 大切なことの優先順位が変わって、働き方が変わって、生活が変わっても、私の芯にあるのは、家が好きなこと。これはずっと変わりません。

 家選びは、暮らし、ともすれば生き方選びに繋がります。
『マイホーム』に憧れて家を購入する時代は終わりました。もっと現実的に、家を自分の『人生のツールのひとつ』として選ぶ時代がやってきました。『みんながこうしているから』ではなく、自分だけのライフプランを持って住まいを選ぶことが出来る時代がようやく訪れたのです。少子化が進む日本の未来は、これまでの日本とは違います。そんな中で、暮らしを守り、ご自分のカタチにフィットする、そんな住まい選びのお手伝いをしたいという思いで、個人相談の仕事をはじめました。

この記事を書いた人

住宅設計・インテリアコーディネート・エクステリアデザイン等、戸建て住宅に関わる仕事歴は約20年。結婚・出産をスパイスに、今はもっと住みやすい家を提案するべく飽くなき探求をしています。

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